
「問い」と「引き寄せ」06 ~「今、解決したい問題は何ですか?」~
【今、問題になっていることは何だろうか?】
前回のコラム『「問い」と「引き寄せ」05』では、人が無意識のうちに作ってしまう「思い込み」によらずに、「自分の内側」を見つめ直すために立てる問い、「本当に?」についてお伝えしました。
実は、ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、私たちは1日に最大で35,000回の決断を下しているそうです。
情報を整理、比較・検討し、問いを立て・選択し、ようやく決断にたどり着く・・・。
この処理が1日に35,000回も脳内で行なわれているのであれば、多くのエネルギーを消費しますよね。
なので、前回のコラムで、『人はより効率的に生きるため、余計な思考をしないで済むように「思い込み」を作る』と、お伝えしたことも、あらためてうなずけるのではないでしょうか。
さて、今回のコラムでは、その「本当に?」という問いを使いながら、「問い」で「問題の解決」を進めていくことについてお伝えしたいと思います。
【そもそも今、問題と思っていることは、本当に問題なのだろうか?】
まずは、「今、問題だ」と考えていることの中味を明らかにしていきます。
すべては「問題」の発見から始まります。
「問題」の発見には、ふたつの方法があると考えています。
ひとつ目は、前回のコラムでお伝えした「本当に?」という問いを使って、健全な疑いを持ち、本質的な中味を確認するということです。
つまり、「その問題は本当に問題なのだろうか?」と問いを立てて、深く考えてみることをするのです。
その問いによって、本当に問題であったならば、「何が問題なのか」を知ることができます。
そして、ふたつ目は、先達(せんだつ)に聞いてみる(しつもんしてみる)、ということです。
「今、私(たち)はこういう状態なのですが、私(たち)の本質的な問題は何だと思いますか?」
この問いは、いきなり「解決策」を求めるのではなく、「何が問題なのか」を知るためのものです。
また、「問題」については、次の2種類に分けることができると思っています。
①.既に起こっていて見えている問題
②.その問題を引き起こす要因となっているが見えていない問題
これまでにお伝えしてきたことは、①.既に起こっていて見えている問題、についてです。
そして、ここからは、②.その問題を引き起こす要因となっているが見えていない問題、についてお伝えします。
ここでのポイントは、「深く掘り下げていく」ということです。
そのためには、「なぜ?」という問いを5回程度くり返して「本当の原因(真因)」を見つける、ということをしていきます。
例えば、「売上が減少している」→その原因は「リピーターが少ない」→その原因は「満足度の低下」→その原因は「ニーズが分かっていない」・・・。
こうすることで、本当に解決すべき問題を「課題」として明らかにできます。
また、コラム『「問い」と「引き寄せ」02』でお伝えしたように、「今は何を大事にしているから、この状態なのだろうか?」という問いを使うことで、意識化されていない心の中の「こだわり」や「プライド」が作った偽りの「行動目的」に氣付かせてくれる、という場合もありますのでこちらも併せて活用をおススメします。
【脳にどんな空白を作るかで人生の質が変わる】
私たちの脳には、「空白(疑問)を埋めようとする」特性があります。
この空白が生まれると、脳は「わからない(不安定な)状態」であることをイヤがり、無意識のうちに答えを探し始めます。
そして、潜在意識(無意識)が動き出すと、その「空白(問い)」を私たちの顕在意識(意識)が忘れてしまったとしても、潜在意識は「答え」を探し続けます。
つまり、潜在意識は私たちが寝ている間も、答え探しをやめないのです。
例えば、発明・発見家であったエジソンやアインシュタインは、夜寝る前に、まだ完成していない発明やまだ発見できていない法則について、そのアイデアや答えを求めて、「問い」を立ててから眠りについた、という話はご存知の方も多いかと思います。
なので、私たちがどんなことに「問い」を持って生活するかによって、人生で得るものが変わってくることになります。
「問いは、私たちの無限の潜在能力を開放するカギとなる」(自己啓発家/アンソニー・ロビンス)
【「どうなったら最高だろうか?」という問いのススメ】
問題や課題が明らかになってきたところで、現在のその状態が「どうなったら最高だろうか?」という問いを立てます。
この問いは、コラム01で紹介したように、「理想の姿(=目標)」を引き出してくれる問いです。
私は、本来、「問題解決」には「理想の姿(=目標)を目指すこと」といった、輝かしい未来に向けて動き出すという意味も含まれているものと考えています。
なぜなら、問題解決も理想の姿もその根本には、次のような意味の「問い」が隠されているからです。
「自分(たち)の資質や能力などを使って、何をどうすればどんなことができそうだろうか?」
「できるのか?」ではなく、「できそうか?」としているのは、選択肢を自由にし、可能性を広げられるからですね。
【自分で選択した(自分の心に従った)という納得感】
最終的に、私たちが自分の人生に納得できるかどうかは、「自分で選択した(自分の心に従った)」という実感を得られているかどうかではないでしょうか。
大事なことは、ひとつの意思決定で答えにたどり着くことではなく、多くの問いを立てるということを重ねて少しずつ自分(たち)が成長していくことです。
私は、「問い」を立てることによって得られるものに、大きく2つのものがあると思っています。
それは、一つには「問題を解決すること」
そして、もう一つには「自分(たち)を知ること」です。
「今、解決したい問題は何ですか?」 「どうなっていたら最高ですか?」
[この記事を書いたのは、松崎豊です]